執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
現実の創世記は、初めにではなく終わりにある。
《 Die wirkliche Genesis ist nicht am Anfang, sondern am Ende.》
私は、この言葉に出会ったときの衝撃を忘れることが出来ない。それは、多くの読書体験の中でも希有な出来事だった。宇宙の実存と生命の悲哀を考え続ける私の魂に存する、大なる呻吟が一瞬にして氷解したのだ。私は自己の生命を投げ捨てるべき憧れと邂逅した。私の運命が、宇宙の永遠と確実に交叉したのである。ブロッホの大著『希望の原理』に食らいついた我が魂が、その最後に遭遇した真の奇蹟だったと今でも私は思っている。
創世記とは、この世の初めである。少なくとも、今の人類が認識することの出来る人間の原初なのだ。それは我々の故郷であり、我々の原点となっている。我々はどこから来たのか、そして我々はどこへ向かって行くのか。私はそれを考え続けている。我々は人類の初心を忘れてしまった。そのために、魂は限り無く低俗になった。初心が、人間の最も美しい姿だと私は信ずる。だから私のはらわたは忿怒に煮え滾っていたのだ。人間は汚れ果ててしまった。人類は、その崇高を忘れてしまったのか。もう我々はやり直すことが出来ないのか。
過去に創世記は一度だけだと私は思っていた。その私の「近代脳」が、この思想によって撃ち砕かれた。人間は、新しい創世記に向かって生きているのだ。次の創世記には、どのような人類になるのか、私には分からない。しかし、我々は新たなる創世記に向かって生きている。人間は再び、その原初の清く美しい初心を取り戻すことが出来るのだ。まだ、創世記は終わっていない。新しい創世記に私も参画できるかもしれない。私は哭いた。
2019年5月6日
掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.441、『「憧れ」の思想』p.235、『夏日烈烈』p.318、『悲願へ』p.42、『孤高のリアリズム』p.245、『ベラスケスのキリスト』p.V、『見よ銀幕に』追補-7,p.12