草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 三島由紀夫『美しい星』より

    人間の肉体でそこに到達できなくても、
    どうしてそこへ到達できないはずがあろうか。

 私は、武士道が何よりも好きである。その慟哭が好きだ。その呻吟が好きだ。その暗黒が好きなのだ。私の武士道は、『葉隠』に尽きる。それ以上でも、それ以下でもない。葉隠を生き、葉隠に死ぬつもりなのだ。葉隠によって、私は「死に狂い」を知った。そして「忍ぶ恋」のロマンティシズムを我が人生の指針としたのだ。それらは「未完」を目指す生き方を生み出した。到達不能の憧れに生きることを、私に教えてくれたのである。そして、三島由紀夫の『美しい星』に私は触れるときが来た。
 美しい星は、天空の愛に生きた家族の物語である。この世ではない、我々の魂の故郷に生きる人々の話だ。その憧れは深い。命よりも、人生よりも、地上の愛よりも深い。その悲しみは深い。人間の存在よりも深い。家族の絆が肚に沁みる。その絆が、一人ひとりの忍ぶ恋を際立たせているのだ。人類の未来に、本当の憧れを感じさせてくれる物語である。忍ぶ恋が、地球の悲劇を予感させる。そして、永遠に向かって飛び立とうとする家族のラスト・シーンが訪れる。これ以上に美しい終焉を私は知らない。
 そこに、この言葉がある。武士道の極地を、壮大なロマンティシズムの上に描き切った終焉である。我々人間の憧れは、肉体を捨てなければ到達できないのだ。人類に与えられた崇高な使命は、肉体を超克したその先に存在している。人類の肉体を拒絶する極北に、人類に与えられた憧れの地があるのだ。三島由紀夫の武士道が、それを表現した。私の武士道が、それに震撼した。武士道のロマンティシズムは、この思想に極まったのである。

2019年5月27日

掲載箇所(執行草舟著作):『「憧れ」の思想』p.310
三島由紀夫(1925-1970) 小説家・劇作家。東大法学部卒。官吏を辞して創作に専念。典雅な文体と構成で『金閣寺』、『豊饒の海』等、戦後文学を代表する作品を数多く発表し、広く海外にも紹介された。1970年、
東京市ヶ谷の自衛隊総監部で割腹自決した。

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