草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ルイ・パスツール『書簡集』(プーシェ宛)より

    一切は未知であり、実験にまたなければなりません。

    《 Tout cela est inconnu et invite à l’expérience. 》

  パスツールの『全集』は、私の科学研究の中心に据わるものだ。その科学的業績は、ここで言う必要もないだろう。業績の他に、パスツールの文献には宝石のような魅力がある。それは、パスツールの魂が各論文や書簡をところ狭しと舞っているからに他ならない。パスツールほど、人間の魂と科学が両立している人物もめずらしい。パスツールの実験には、すべて人間の意志がある。意志が実験をしている。人間の生の意志が、科学論文を書いているのだ。だから、その科学は人間の涙から生まれている。
  冒頭の文は、パスツールの決意を示すものだ。その決意が、あの偉大な科学を築き上げている。パスツールは、全く分かり切っていることも必ず実験した。自分の意志によって、実験をするのだ。それは科学というものを、宇宙の実在と捉えていたからに違いない。その認識の正確さだろう。私はこの一文に出会ったとき、パスツールの信念の垂直性を思い知ったのだ。すべてを実験に待つ生き方とは、途轍もない勇気を必要とする生き方である。
  それは、自分の人生を丸裸で晒すのに等しいからだ。私はこの短い一文の中に、パスツールの運命に対する生き方を見た。この手紙は歴史的な論争の相手に送られたものだ。そこに、この一文がある。私は、自己の運命を信ずるその強さを感じた。この文はパスツールの人生論なのだ。そして、実験という自己の運命に体当たりするパスツールの勇気を感じた。これは、隠れて行なう実験ではない。それは、自分の名声のすべてがかかる実験だった。私は、自分の武士道を、パスツール自身のこの運命論によって固めることが出来たのだ。

2021年3月29日

ルイ・パスツール(1822-1895) フランスの化学者・細菌学者。近代微生物学の祖。パリ大学教授、パスツール研究所初代所長などを歴任。酒石酸の立体異性体の発見に始まり、狂犬病などのワクチンの発明、伝染病の原因に関する微生物胚種説など、多岐にわたる分野を研究。近代医学創始者の一人となった。

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