草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 島崎藤村『夜明け前』より

    どうしてこんなことで夢が多いどころか、
    まだまだそれが足りないのだ。

  これは、藤村が描いた最大の文学だろう。明治維新を支えながら、その犠牲となっていった人々を描く気宇壮大な文学の一つと言える。藤村は、己れの父をモデルにしてこの小説を書いた。藤村の血を知りたい一念で、私はこの文学を読んだのだ。主人公青山半蔵の人生に涙を流さぬ者はいないだろう。飛騨の庄屋に生まれ、平田篤胤門下で国学を学び、その生涯を新しい国造りに捧げた。そして、明治国家に裏切られ狂人となって、座敷牢の中に死んだのである。
  私はこの青山半蔵に、自分の祖先を見るような親近感を感じた。庄屋としての家を支え、志に奔走した人生だった。多くの人間から慕われていたが、また多くの人間が危険を感じてもいたのだ。危険とは、その志のことである。半蔵の魂は、正しく相続されて来た人間本来の魂だった。しかし時代はすでに、その魂を受け入れることはなかった。多くの人々から、夢が多過ぎると言われていた。家族を中心として、その夢だけがこの人物の欠点のように言われていた。
  その半蔵の、最晩年の思いが冒頭の言葉なのだ。本人は、その欠乏に哭いている。私はこの文章に出会ったとき、一筋の人生を歩むことの意義を摑んだように思った。大長編の文学を、半蔵の人生と共に生きていた私は、すべてに敗れ去り座敷牢に死ぬその最期に近くなって、この文に出会ったのだ。半蔵の与えられた人生に私は涙が滲んだ。何かを貫くということの価値を私は知った。このような人間の、生命に支えられて今の国家はあるのだ。私も半蔵に倣うことは言うに及ばない。

2021年3月22日

島崎藤村(1872-1943) 詩人・小説家。学生時代に洗礼を受けるとともに文学への関心を強め、北村透谷らとともに『文学界』の創刊に参加。浪漫派詩人として『若菜集』を発表、のち散文に転じ『破戒』で自然主義の小説家としても大きな業績を残した。ほか『新生』『若菜集』等。

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