執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
お前は人間にすぎぬ……お前の知恵の尽きるところで、
我れらの英知がはじまる。
ゲオルゲの詩に、私は未来を予感して来た。その内臓の深部に、人類の行き着く先を私は感ずるのだ。その理由は、中世の暗黒にある。ゲオルゲには、中世の精神が鎮もれている。見えないように、潜んでいる。その力が、詩を支えているのだ。迷信が生き返り、精霊が飛び交う。そして百鬼夜行の鳴動が響き渡る。現代人の傲慢を罰する叫びがあるのだ。近代の恐れを知らぬ人間どもに、呪いの一撃を喰らわそうとしているようだ。
人間の魂の偉大性を知る者は、また人間のもつ卑小性に哭き濡れるのである。私は人間の宇宙的使命を目指して生きて来た。しかしそれは、もしそうでなければ動物以下の生が待っていることを知っているからなのだ。人間は、崇高を目指さねばならぬ。崇高とは、人間だけに与えられた、宇宙的使命に生きることを意味する。我々の崇高を為し遂げる力は、我々の骨髄と内臓の深奥にある。それは暗く重く切ない生命の伝承である。その暗く重く切ないものが、冒頭の言葉を発しているのだ。
それがなければ、我々はまさに「人間に過ぎぬ」のだ。それを失った近代人は、軽く明るく元気になった。そして己れの存在を過信する「人間もどき」へと堕したのである。人類の文明を生み出した暗黒が、この言葉を吐いているのだ。我々がその傲慢のゆえに滅亡すれば、我々を創った暗黒が躍り出て来る。人間が人間に過ぎぬものとなれば、もう未来は無い。我々が人間を乗り越えれば、真の人間としての英知が生まれて来る。ゲオルゲの祈りが、私に語りかけて来る。
2021年4月12日