執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
神の恩寵は、人間すべてに与えられるものではない。
《 La grâce de Dieu n’est point donée à tous hommes. 》
この思想が、あの偉大だった欧米を築いたのだ。峻厳なキリスト教プロテスタンティズムの中心思想である。良くも悪くも、欧米人は神に選ばれるために努力と研鑽の人生を歩んだに違いない。その結果が、十九世紀のあの偉大を生み出したと言えよう。ヒューマニズムに犯された現代人が、カルヴァンを嫌う最大の原因となっている言葉でもある。しかし、歴史を見れば真実は分かる。この思想は、真実である。だから厳しいのだ。好き嫌いの問題ではないだろう。
しかし私も、大学一年で初めてこの言葉に接したときには狼狽した。その真意を得ようとして、この「予定説」と呼ばれる思想の本だけで十数冊を読んだのだ。それに加え、当時ふかく師事していた森有正氏に何度も相談したのである。森氏はこの峻厳な思想を、カルヴァンのもつ勇気の問題として教えて下さった。私はこの考え方によって、武士道とキリスト教の核融合に成功したように思っている。自分の中で、武士道の不合理とキリスト教の不合理が融合した。そして、一つの哲学を生み出すことが出来たのだ。
それが、現在まで続く私の「運命論」の始まりだったように思う。神に選ばれるとは、自分の運命を生き切ることに他ならない。運命の中に、宇宙の実在が隠されているのだ。私は、人間に生まれたこと自体を大したことだとは思っていない。自分の生を燃焼し尽くすことに、人間の価値はあると思う。その燃焼は、自己の運命に体当たりすることによってしか行なわれない。つまり運命を生きるとは、勇気の証となるのだ。自分の人生の柱に、勇気を据えることが重要になる。そうすれば、この言葉が体内で燃え始めるのだ。
2021年7月26日