執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
もはやエクリチュールしか残っていない。
《 Il ne reste plus que l‘écriture. 》
ル・クレジオは、私の魂の展開を後押ししてくれた作家のひとりである。私よりも十歳の年長だが、私の大学生の頃に登場した新進作家だった。『調書』、『発熱』などに見られる位相空間的な心理分析は、若き日の私の魂を震撼させるものとなった。その独自の終末論的幻想は、人類の原初の混沌へと発展していく魂の旅路を持っていたのだ。この人類とは何なのか。我々はどこから来て、どこへ行くのか。私はル・クレジオの作品と共に、それを考え続けて生きて来たと言っていい。
我々ホモ・サピエンスの原点について、ル・クレジオほどのロマンティシズムを与えてくれた作家は少ない。人類のもつ宇宙的使命を、私はこの人物が描いた文学的情熱の中に感じ続けて来たのだ。人類が到達したシュール・レアリズムの芸術観によって、人類がもつ原初の暗黒を描こうとしていた。それは、生の雄叫びであり、魂の慟哭と言ってもいいだろう。ある意味で、シュールを超えたシュールを表現していた。人類の発展の頂点は、そのまま、人類を生み出した暗黒の中に存在していた。
それが冒頭の言葉なのだ。エクリチュールとは、人類の残した碑銘や刻印である。人類の涙が認めた血の記録とも言えるだろう。それだけが、人類の魂の中心を創っている。我々人類の発展は、その複雑の極地を極めた。そして残ったものは、我々の祖先たちが刻した碑だけなのだ。その中に、人類のすべての憧れや希望が写されている。我々が到達しなければならない世界は、我々が歩み出した出発の門の内にある。年老いた人類は、故郷において、また若返るに違いない。
2021年8月14日