執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
個人も社会も、等しく割れていた。
《 Individuals were riven as much as society. 》
マイケル・ヤングは英国の社会学者である。日本ではあまり知られていないが、その科学的なフィールド・ワークから帰納された学説は重厚であり深淵ですらある。その理論の多くに、私は衝撃を受けたと言えるだろう。その一つに、「負い目」の理論というものがある。つまり、負い目があるほど社会は発展し、個人は自立していくというものだ。その理論の実証として、ヤングはあの十九世紀ヴィクトリア朝の英国社会を取り挙げていた。社会には道徳が行き渡り、英国の勢いが世界を呑んだあの時代だ。
私は武士道だけを信じて生きている。だから、あの十九世紀のジェントルマンは最も好きな人種なのだ。一つの哲学を持ち、その哲学のためにのみ生きそして死ぬ。これが英国紳士の定義である。まさに武士道ではないか。私の理想と言っていい。あの時代の英国は、私に限りない希望と勇気をもたらしてくれる存在だったのだ。その英国が、当時、負い目を持つ人間だけの社会だったとヤングは結論づけたのである。
これが衝撃でなくて、何を衝撃と言うのか。日本では負い目ほど印象の悪い事柄はなかった。その最悪と言われた心理が、世界最強の社会を創ったと言うのだ。貴族は生まれながらに貴族であることに負い目を感じていた。信仰を失いつつある国民は、自分の魂の存立に負い目を感じ続けていたのだ。そして奮励努力の末に出世した人々は、まだ厳然として存在する上流階級の前でコンプレックスに打ちひしがれていた。すべての人が、自分に欠落を感じていた。満足と幸福の反対だ。それが英国を輝かせていたのだ。冒頭の言葉は、それを一言で言っている。
2021年10月2日