執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
私は、火を地上に投じるために来たのだ。
イエス・キリストがこう言ったと、福音記者ルカは伝えている。この言葉に続いて、「火がすでに燃えていたならと、私はどんなに願っていることか」という件が来る。この言葉は、私がキリスト教の本質を、自分なりに摑んだと思った思想なのだ。キリストがこの地上にもたらしたものは、火である。それが、人間として生きる者にとって、最も大切なものだと言っているのだ。私はこの火を、人間の生命燃焼と捉え、また愛の本質である苦悩を意味していると確信している。
人間の生命は、燃え尽きることにその存在理由がある。魂の燃焼を軸心に据えた、人間燃焼である。我々は燃えるために生まれて来た。人間のもつ宇宙的使命に向かって、燃え尽きるために生きているのだ。人間の人間たるいわれは、その情熱に存する。それが人間の実存というものだろう。私は運命に対する体当たりの中に、この実存を感じて来た。体当たりから生じる火炎の中に、生命の本質を感じるのだ。
その火炎から愛が生まれ出づる。愛は火の中から生まれるのだ。その愛の炎は、我々の魂に限りない苦悩をもたらすだろう。その苦悩を戦い抜くことが、自己の本当の生を生み出す。愛の苦悩の中を、突進することに人生の意義があるに違いない。愛は、我々の運命を滾らせる何ものかである。愛の炎に焼け焦がされることに、我々の宇宙的使命が存するのだ。そこにこそ、我々の人間燃焼の本質がある。我々人類は、果たしてそう生きることが出来るか。キリストの問いは、永遠の十字架を突き付けている。
2021年11月27日
掲載箇所(執行草舟著作):『現代の考察』p.32