草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 亀井勝一郎『愛の無常について』より

    生は未完の死である。

  生きるとは、死ぬことである。私はそう思って生きて来た。私の運命が、私にそのような思想を与えていたと思っている。私は度重なる死の危険を、体当たりの突進によって切り抜けて来たのだ。いま思い返しても、随分と変わった運命だったように思う。しかし、私はその運命をことのほかに愛している。それはこの運命が、私に「葉隠」への恩と「神秘」への愛を育んでくれたからに他ならない。この二つの柱は、私に生の限りない喜びを感じさせてくれたのだ。
  我々は、死に向かって生きている存在だ。そう、あのハイデッガーも言っていたと記憶する。時々刻々として、我々は自分の死を積み重ねているのだ。それを知ることが、どのくらい大切なことかを感じながら生きて来た。この考え方が、私の中に愛の本質を打ち込んでくれたと思っている。愛は、死と隣り合わせのものである。死と重ならない愛は、本当の愛ではない。死があるから、我々の生は愛を求めて呻吟するのだ。死があるから、我々は生きる喜びを味わえるのだ。
  私は長く、亀井勝一郎の著作を愛して来た。それは、亀井が死にながら生きていた人物だからだろう。亀井は死にながら、真実の愛を見据え続けた。その透徹した眼差しは、神秘をさえ湛えていた。純粋に思考する力を、私は亀井の思想に見ていた。この不合理の世を貫く、その清純の力に私は魅了されていたのだ。そしてその力の根源が、死にながら生きる姿勢の中にあったことを知った。私はそこに、自分の本当の友を見出した。死にながら生きる男の涙を、私は冒頭の思想の中に見ているのだ。

2021年12月11日

掲載箇所(執行草舟著作):『現代の考察』p.692
亀井勝一郎(1907-1966) 文芸評論家。青年期にマルクス主義に傾倒し、労働運動に参加。のちに文芸評論家として再出発。『日本浪漫派』を創刊。日本の伝統の中に自己と民族の再生の道を求めた。古典、仏教美術への関心も高かった。『大和古寺風物誌』、『日本人の精神史研究』等。

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