草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ディラン・トーマス 詩集『死と入口』より

    最初の死のあとに、ほかの死はない。

    《 After the first death, there is no other. 》

  ディラン・トーマスは、第二次世界大戦前に活躍した英国の詩人である。私はT・S・エリオットと並び、このトーマスに「生と死」そして「現在と過去」の時間感覚を学んだ。冒頭の言葉は、ロンドン空襲で死んだ子供の死を悼むことをあえて拒んだ詩の最後の一行となる。「最初の死」とは、キリストの死に掛けたものと思われる。自分自身が死んで永遠の生を得たあとでなければ、子供の死を本当に悼むことは出来ないのではないかという気持を表わしている。人間の死に対する謙虚を、私はここに感ずるのだ。
  私は、この詩句に初めて出会ったときのことをいつも思い出す。そのとき、私はこの「最初の死」というものを、自己の死と感じたのである。私は自己の死を、未来から突き付けられたことを覚えている。自分が死ねば、もう他者の死を偲ぶことは出来ないのだ。この発想の転換は、私にひとつの革命をもたらした。死を考えることが出来ること自体が、生きている証しである。死が「有る」ということは、生きている現在が「有る」ことに繋がっている。
  つまり、死を考えて生きていない者には、現在はないのだ。現在とは、過去の多くの死を悼むために存在している。そう考えるのが、我々人類の時間感覚だったに違いない。我々はいま、死を忘れた生活をしている。現代に生きる我々は、本当の生を送っていないのだ。我々は、すでに現在という時間を失って久しい。現在は、死がなければ成立しないのだ。現代人は、いま生きていないのだろう。だから死が無くなった。我々人間は、自分が生きていれば、多くの死と共にいなければならないのだ。

2021年12月25日

ディラン・トーマス(1914-1953) イギリスの詩人。人間の実存を独自の表現で歌い上げ天才の名を欲しいままにする。生、死、性の根源を真正面から追求、次第に自然の中に神を見出す傾向を強めていった。若くしてアルコール中毒で死去。代表作に『25編の詩』、『死と入口』等がある。

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