草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 小林秀雄『無常といふ事』より

    上手(じょうず)に思ひ出す事は非常に難しい。

  人生とは、思い出の集積に他ならない。だから、その思い出の質がいまの自分を創り上げていることになる。いまの自分は、過去の記憶が作り上げた自分なのだ。それも、自分の記憶した通りに創り上げられている。その記憶が美しい人には、美しいいまがある。その記憶が薄汚れている者には、汚らしいいまがあるのだ。すべては、自己の思い出の質にかかっている。このことによって、自己の人生に良い記憶を残すことが、いかに大切かが分かるだろう。
  小林秀雄は、その思い出の正しい創り方を言っているのだ。過去に起こった、人生上の「事実」そのものの見方を言っている。事実は、善でも悪でもない。すべての事象には裏と表があるのだ。その見方を身に付けるには、信念とそれに基づく勇気が必要となる。良い現在を得るためには、良い過去を思い出さなければならない。事実として現存した、過去を良い面から見直すのだ。その心の作用に勇気がいるということを、小林は言っているに違いない。
  自分が、ひと筋の生き方を選択することによって、それが可能となる。ひと筋の生き方とは、自己の人生を捧げ尽くす対象を決めるということに尽きる。その覚悟が出来れば、人は過去の事実の中に良い面を見ることが出来るようになるのだ。自己の人生を、他者や人類の未来に捧げる覚悟が決まれば、過ぎ去った過去の事実はすべて美しいものに変容して来る。愛の力が、それを成すのである。愛なくして、美しい思い出を見出すことは出来ない。自己の生き方がその愛を生み出せば、すべてが美しくなる。

2022年2月5日

掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.452
小林秀雄(1902-1983) 東京帝国大学仏文科卒。評論家。自意識と存在の問題を軸にして、フランス象徴派を基盤とした文学批評を開始。日本における近代批評を確立した。代表作に『モオツァルト』、『本居宣長』等がある。

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