執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
おそらくは、生が死であり、死が生であり得ることを誰が知ろうか。
エウリピデスは、「ギリシャ悲劇」の巨匠である。三大悲劇詩人のひとりであり、その『メディア』や『トロイの女』は今も人々の心を捉え続けている。ギリシャ悲劇とは、人間の運命がもつ過酷を描く劇の形式を言う。人間に与えられた使命を語っているのだ。それを抱き締め、生き抜く者たちがいる。そして、その重圧に圧し潰される者たちもまた多くいるのだ。それが人間の文明を築く原動力を創って来た。その民族団結の意識を、古代ギリシャ人たちは、「悲劇」という芸術の中に見出していたのである。
私もまた、人間の運命について考え続けて来た。だから、早くからギリシャ悲劇の名作は読んでいた。そして、その悲劇の中心を支える思想を私なりに考え続けていたのだ。ギリシャ民族の誇りを語るその悲劇の中に、日本の武士道と共通の意識を多く見出していた。その一つが、冒頭のエウリピデスの言葉である。そしてこれが、ギリシャ悲劇の全体を支える思想的基盤を創っていることに気付いたのだ。武士道の根源が、古代ギリシャ民族の意識の基底を支配するものでもあったのだ。
生きることは、死ぬことである。これが葉隠の武士道の根幹思想を創っている。それはまた人間の芸術の淵源を形創るものでもあったのだ。生の中に死を見ることは、自己の生を芸術化するものとなるだろう。また、死の中に生を見出すことは、死を崇高な生の出発と成すことにもなるのだ。私の夢は限りなく広がった。人類最初の芸術と言われるギリシャ悲劇の中に、武士道を見出したことの影響は大きかった。武士道の中に、大いなる「美学」を確立していくことになったのだ。その出発にギリシャ悲劇がある。
2022年5月7日