草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 椎名麟三『邂逅』より

    確実なのは、この世界には不幸があるということだけだ。

  椎名麟三の『邂逅』は、戦後日本人の生をい質すひとつの「良心」となっている。私はこの文学を知ることによって、真の出会いと別れ、そして自己の中に巣食う戦後的ニヒリズムとの戦いを戦い抜くことが出来たのである。自己の中に、の沼矛を打ち立てなければならぬ。絶対に揺るがぬ天を目指す垂直の柱ということである。戦後の日本人は、それを失った。私は『邂逅』の哲理を考え続けることによって、それを打ち立てて来たのだ。この不合理の世をどのように斬り裂くか、である。
  道元の『正法眼蔵』を私は考え続けて生きていた。生命のもつ幸福と不幸、人間のもつ喜びと悲哀、宇宙を支配する暗黒の真実について知りたかったのだ。私は現世を武士道によって生き、それだけで死ぬつもりでいた。しかし、人間のもつ好奇心を押さえることは出来なかったのだ。私は運命に対する体当たりによって、その苦悩を打開しようと思っていた。そしてトインビーに出会い、ウナムーノに出会い、この『邂逅』と出会ったのである。
  私はこの文学によって、不幸の中に打ち立てる人生の意義を知った。人生とは、幸福によって創られるものではないのだ。不幸をどれだけ受け入れたかによって、人生の価値と厚みが創られる。不幸を受け入れたとき、我々人間は人間の真実を知ることになる。人間の真実を知れば、我々は宇宙の混沌をつんざくことが出来るのである。そして人間を越えた未来を感ずることが出来れば、我々には真の希望が芽生えて来る。不合理を抱き締め、不幸の中を堂々と生きるのだ。我々の生命は、戦うためにある。『邂逅』の幕切れのように、「さあ、愉快に、一緒に戦おう」ではないか。

2022年8月27日

椎名麟三(1911-1973) 小説家。様々な職を転々としたのち、組合活動で検挙され入獄。戦後は現代における生の可能性を問うという実存的テーマを追求し、戦後派文学を代表する作家となった。『永遠なる序章』、『自由の彼方で』等。

ページトップへ