執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
満足した豚であるより、不満足な人間である方が良い。
《 It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied. 》
魂の進化が終わったとき、我々人間の存在理由が消滅する。人間とは、永遠に向かって進み行く霊的主体である。その行く手にいかなる困難があろうとも、またいかなる悲痛が待ち受けていようとも、我々は不断に前進するのだ。その悲哀を抱き締めることだけによって、我々人間の歴史は刻まれてきた。私が人類の歴史から学んだことは、この一事に尽きる。この人間の営みを受け継ぐことだけが、きっと私の人生に意味を与えてくれるだろう。
いまここに、私はJ・S・ミルの言葉を取り挙げている。人間を定義する上で、最も偉大な思想と私が考えている言葉の一つだ。No.150の座右銘において、私はプロティノスの言葉を取り挙げたことを思い出す。あの「偉大にして最後なる戦いが、人間の魂を待ち受けている」という思想を言う。プロティノスは人間の生きる上での覚悟を語っていたのだ。その覚悟の、地上的展開がこのミルの言葉だと言っていいだろう。日々の生活における、我々の生きる上での姿勢をミルが我々に問いかけているのだ。
人間は、満足したときに終わる。魂のある人間としては、満足したときに終わるのだ。満足は、人間以外のすべての存在物に与えられた神の恩寵である。我々人間は、永遠を仰ぎ、この世の終わりまで進み続けなければならない。神が人間に与えた宇宙的使命は、苦悩し続けるその魂の存在にある。神を求め、永遠を求めて苦しみ続ける我々の魂こそが、宇宙を支える我々の「誠」なのだ。人間は、永遠の未完成体として存在している。その苦悩を生きることが、真の人間の「幸福」であるに違いない。
2022年8月20日