執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
オー・ヘンリーは、私の最も愛する短篇作家のひとりである。『最後の一葉』は、その出会いとなった忘れ得ぬ作品なのだ。高校一年の英語の教科書で初めて出会った。そのときの衝撃をいまもよく覚えている。チェーホフやメーリメに比肩し得るユーモアと、何よりも深いペーソスを感じたのだ。アメリカ的でぶっきら棒な表現の中に、うねり来るような悲哀が漂っていた。真の希望と愛の本質、そして何よりも愛の悲しさが心に響いた。この作品と冒頭の言葉は、私の人生を屹立せしめたのだ。
物語は単純である。病気の主人公は、窓の外に見える蔦の葉がすべて散ったときに、自分は死ぬと思っていた。それを知った老画家が自己の病を押して、窓に蔦の葉を本物そっくりに描いたのだ。本当は散ってしまったが、絵の蔦の葉が残っていることによって、主人公の病は癒えた。しかし雨に打たれてそれを描いた老画家は、肺炎で死んでしまう。冒頭の言葉は、主人公が奇蹟的に癒えたときに見た、「虚偽の真実」である。真の自己犠牲が生み出した、本当の愛の姿に違いない。
人間の愛が、この世の真実なのだ。それは虚偽であるかもしれない。しかし、その虚偽の中に一片の誠があれば、それは真の希望を人間にもたらすに違いない。後年に至って私は、ピカソが「私の絵画は、虚偽の真実である」と言っていたことを知った。そのとき、私はピカソの芸術に対する真の愛を感じたのだ。その始原には、この『最後の一葉』があった。蔦の葉が残っている限り、人間は立ち上がることが出来る。私は愛に包まれて生まれ、そして今日まで生きて来た。だから私の蔦の葉は、いつまでも散ることがない。
2022年9月24日