草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 臨済義玄『臨済録』より

    (ほとけ)()うては仏を殺し、(おや)に逢うては祖を殺す。

    《 逢仏殺仏逢祖殺祖 》

 不退転の決意を表わす思想である。不退転とは何か。その答えがここにある。決断とは、このことを言う。それは悲しみであり、怒りなのだ。慟哭と忿怒のない決断はない。決断とは、憧れに向かう魂の激震のことだ。その震撼は、現世に対する激しい憤りに支えられている。その憤りは自己を殺し、行手に現われるものすべてを殺す。存在の日常性を殺さずして、どうしてその根源に辿り着くことが出来ようか。真の希望とは、すべての存在を殺した先にある「何ものか」なのだ。
 私はこの言葉を『臨済録』に見たとき、決断の何たるかを直感した。それから半世紀近くになる。私は武士道に生きて来た。その武士道のゆえに、激しい生命的苦悩の中を突進する青春だった。その苦悩を、最も救ってくれた思想がこの言葉なのだ。自分の行手を阻むものは、すべて斬り捨てなければならない。まず自分が死なずして、どうしてそれが出来ようか。まず自己が死ぬことである。私は自分の武士道をこの禅の神秘によって摑んだように思った。
 ドイツの哲学者ハイデッガーは、真に自立した人間存在を「死に向かって生きる存在」と言った。Sein zum Todeである。自分が死ぬことによって、初めて自己の愛するものを斬り捨てることが出来る。決断とは、それを言うのだ。決断とは、悲痛の深淵に突入する勇気なのだ。私はこの言葉を考えない日はない。今日も考えている。死ぬまで考え続けるだろう。いま私は、自己の人生を殺すことによって、この思想を現世に実現している。そして、その正否を問うことはない。私はこのまま死ぬ。

2019年9月14日

掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.154、『「憧れ」の思想』p.145、『夏日烈烈』p.487、『憂国の芸術』p.96
臨済義玄(生年不詳-867) 唐の禅僧。臨済宗の開祖。黄檗希運に師事して受法し、河北鎮州城東南の臨済院に住す。仏教の般若と荘子の思想を踏まえ、参禅修行者に厳しい喝を与える独自の道を実践。その法系は中国禅宗中最も栄えた。弟子によってまとめられた言行録『臨済録』がある。

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