草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • フランソワ・ヴィヨン「バラード」(『遺言詩集』より)

    泉のかたわらに立ちて、喉の渇きに私は死ぬ。

    《 Je meurs de soif auprès de la fontaine. 》

 私の青春は、苦悩そのものであったように思う。自己の生存の原点を求めて、私の魂は咆哮していたのだ。無頼だった。それを良いことだとは当然に考えていない。しかし、どうすることも出来ぬ悲痛が私を襲い続けていた。自分が何者なのか。その思考が魂を苛む。喧嘩と文学の中に、その答えを求めた。私は死ぬほどに他人と争い、また死ぬほどに文学を読んだ。答えは、何も得られなかった。ただ敗北を抱えた人間として、何も変わらぬ私が存在するだけだった。
 そのようなとき、私の友として語りかけてくれた人物のひとりがこのヴィヨンなのだ。苦しみの中から、生まれるものが必ずある。そう語りかけてくれた。そして、生まれなければ、そのまま死ねばいいとその詩には書かれていた。この中世の吟遊詩人の悲痛が伝わって来た。そして、無頼の男同士の友情が芽生えたに違いない。私はヴィヨンと共に放歌高吟し、ヴィヨンのように街を練り歩いた。その情況を知る者に会うことは、半世紀を経た今でも恥ずかしい。
 そして私はヴィヨンから、この世で一番大切な教えを与えられたのだ。それが、この言葉である。飽食暖衣のこの世にあって、そのど真ん中にあって、自己の信念のために死ななければならない。その意義が、私の存在のすべてである。自己を弱くするこの世の餌は、何も受け取ってはならない。餌を前にして、飢え死にしなければならない。それこそが、日本男子としてこの世に生を受けた私の存在論なのだ。そう生きて、そう死ぬ。ヴィヨンのように、私は、そうする。

2019年9月21日

掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.305、『憧れの思想』p.133、『孤高のリアリズム』p.199
フランソワ・ヴィヨン(1431頃-1463後?) 中世フランスの詩人。パリ大学に学ぶが殺人、窃盗などを犯し、逃走、投獄、放浪の生涯を送る。最後は殺傷事件によりパリから追放されて消息不明。多彩な詩情で過ぎ去った青春への嘆き、貧窮や死の恐怖などを赤裸々に歌った。代表作に『形見分け』、『遺言書』等。

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