草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 吉本隆明「転位のための十篇(ちいさな群への挨拶)」より

    ぼくがたおれたら一つの直接性がたおれる、
    もたれあうことをきらった反抗がたおれる。

 私の信念は、『葉隠』の精神を貫徹することである。その武士道を、この世に現成することの一点に尽きる。その道を塞ぐものはすべて叩き潰し、その先に展開するものはすべて呑み干す決意を抱いている。この世において、それを断行できる者は私だけだと思っている。葉隠を、日本民族が生み出した最も崇高な思想だと思っているのだ。そのために生き、そのために死ぬことが私のただ一つの誇りを形成している。私にとって、他はすべて無いに等しい。
 武士道を信奉する私が、左翼革命思想家だった吉本隆明と出会ったことは奇蹟に近い。しかし、出会ってみると、この革命思想ほど私の魂を震撼させるものはなかった。吉本隆明の思想とその詩は、私の武士道を理論化する最大の哲学のひとつとなった。武士道と革命は、この世と戦うことにおいて、魂の共振を有していたに違いない。この世の出世や成功だけを考える人間を、吉本隆明と私は強く軽蔑していた。「人間の理想」を実行することだけに価値を持っていたのだ。
 私は、自分を一つの直接性だと思っていた。直接性とは、宇宙と生命そして文明の本質と自己の直結のことを言う。自分はこの世の本質と直に結ばれているのだ。その誇りが、私を立たしめていた。私はたおれるわけにはいかなかった。私がたおれれば、葉隠の精神がたおれるのだ。私がたおれれば、物質主義者の気炎が上がるだろう。私がたおれれば、ひとつの理想がたおれるのである。この世の傲慢を叩きのめそうとする、ひとつの力が失われてしまう。私は突き進まなければならなかった。

2019年9月30日

吉本隆明(1924-2012) 詩人・文芸評論家。左翼思想に傾倒し、独自の文学・政治思想を確立。1960年代の全共闘運動をはじめ、左翼学生・労働者闘争に大きな影響を与えた。また、言語、国家、古典文学など幅広い評論活動を行なった。代表作に『転位のための十篇』、『共同幻想論』等。

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