草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • フリードリッヒ・ヘルダーリン『エンペドクレスの死』より

    それでも、君は生まれたのだ。清澄(せいちょう)な日のために…

 ヘルダーリンの詩には、人間生命の淵源が湛えられている。人間の生命は、何のためにあるのかということだ。何のために、この世に生まれて来たのか。その問いかけである。この不合理の世に、この悲惨の世に、我々はなぜ生まれて来たのか。人間の魂を持って、なぜ我々はこの世に来たのか。清く美しい魂を抱いて、なぜ混濁の世に我々は到来したのか。人間の魂は、間違いなく清く高く悲しい「崇高」を追い求めている。その人間がこの世を生きるのだ。
 ヘルダーリンの投げかける問いに応えようとすることが、私の人生を潤おして来たに違いない。その問いかけは、私に悲痛と苛酷しかもたらさなかった。しかし、それが私の魂を強く豊かにしたように思う。いかなることがあっても、我々は理想を貫徹するために生まれたのだ。理想を貫くために、人間はこの世に到来した。その理想は、清く美しいものでなければならない。この動物の生命の中に、人間の魂が宿った意味は、そこにしかない。ヘルダーリンが、私の体内で溶解した。
 我々が、人間として生まれた意味は清澄な日を持つためなのだ。その他のことは、どうでもいい。清澄な日を迎えるために、我々には試練が与えられる。我々がもつ辛い宿命は、美しい日々に到達するために与えられたものに違いない。我々の生命は、魂の清冽のためにある。その美しいものは、不合理と悲痛の先にある。それを目指すものこそが、真の人間なのだ。人間に価値は無い。人間を乗り越えた先に、本当の人間の故郷がある。

2019年10月7日

掲載箇所(執行草舟著作):『生くる』p.89、『憂国の芸術』p.158
フリードリッヒ・ヘルダーリン(1770-1843) ドイツの詩人・思想家。大学で神学を学び、古代ギリシアへの憧憬からロマン主義的な作品を多く書く。また悲恋と苦悩の中から数々の頌歌や小説を生み出すが、30代以降は精神的薄明のうちに過ごした。代表作に『ヒュペーリオン』、『エムペドクレス』がある。

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