執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
歌人 三浦義一の中に、私は生命の噴煙を見ている。その噴煙が、私の魂を震撼させるのだ。噴煙の中に、紅蓮の炎が生み出す苦悩を見出すのは私だけではあるまい。地獄の苦痛が噴煙を吹き上げている。それは、我々の生命の苦痛と同じものと言っていい。我々の生命は宇宙から滴り落ちたものだ。そしてこの美しい星の申し子としてこの世に来た。それを歌ったのが、義一である。義一は、その悲しみを歌っている。その苦痛を叫んでいるのだ。なぜに、我々は苦しまなければならないのか。
義一の歌は、それを我々に突き付けてくる。その思想は、宇宙から生まれ、生命を貫通して我々の許に届く。三浦義一は、生命の淵源に立ち戻って、そこから人間の生死を問いかけて来る。すべての歌に、宇宙からの問いかけがある。義一の日常は、宇宙の根源とこの世を往還する自己の魂の対話なのだ。私は義一の歌に、仏教の「来迎思想」を感じていた。宇宙があって、地球があって、そして日本がある。それが我々のすべてなのだ。我々は我々であって、我々ではない。
その信念をこの言葉に私は見たのだ。そして、その思想はそのまま私の思想と化したのである。義一は自己の生命を、宇宙に向かって放擲している。その覚悟が、私にはひしひしと伝わるのだ。自己の人生そのものを、ひとつのエネルギーとして噴出する潔さだろう。永遠に向かって生きる自己がいる。それは我が身を一つの剣と成した自己の魂である。剣と成った魂は、天空に向かって打ち立てられるのだ。天から降り注ぐ恩寵がある。それが自己の激情を創っている。義一と私の人生を創っているのだ。
2019年10月21日
掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.446、歌集『悲天』(執行草舟によって復刊された、三浦義一の歌集)p.272