執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。
幸福なシジフォスを思い描かねばならぬ。
《 Il faut imaginer Sisyphe heureux. 》
「シジフォスの神話」とは、この世で最も不幸で過酷な罰を表わす物語である。山の上に岩を背負って上がり、その岩はまた転げ落ちる。落ちた岩をまた山の上まで運ぶ、そしてまた落ちる。その無限循環の不合理を与えられた「生」を表わす神話だ。この世における不合理の極地を、カミュは自己の実存哲学の根本に据えた。そして、それを中心としてあの偉大な「不条理の哲学」を築き上げたのだ。私が、武士道の根源をそこに見出したことは、ごく自然な成り行きだった。
その不合理と不幸の生命の中に、カミュは真の幸福を見出そうとしていた。偉大な実存哲学の最後を、カミュはこの言葉で締めくくっている。つまり、これがカミュの生命論の根源を支える思想なのだ。中学生のとき、私は『異邦人』に始まるカミュの哲学の虜になっていた。カミュの哲学は、私の中に新しい『葉隠』を与えてくれたように思う。その最初の衝撃を受けたのが、冒頭の言葉との出会いなのだ。不幸の神話の中に、幸福を見出さなければならない。そうカミュが私に語りかけて来た。
カミュの思想は、私の中から近代社会の幸福論をすべて蹴散らしてしまった。その実存哲学は、私の運命が持っていた不合理をすべて「科学」へと変換したのだ。近代の幸福が私の中で死んだ。その真空の中に、無念の死を遂げた古の武士たちの霊魂が流れ込んだように思う。その死に果てた武士たちの無念が、私の魂の中で甦った。近代人には分からぬ幸福が、そこにはあった。決して理解されぬ美しさに覆われていた。私はただ独りで「シジフォスの神話」を生きようと決意した。
2020年2月17日
掲載箇所(執行草舟著作):『根源へ』p.90, 406、『「憧れ」の思想』p.197、『おゝポポイ!』p.204、『生命の理念 Ⅱ』p.526