草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ブーレーズ・パスカル『パンセ』より

    人は正しいものを強くできなかったので、
    強いものを正しいとしたのである。

    《 Et ainsi ne pouvant faire que ce qui est juste fût fort, on a fait que ce qui est fort fût juste. 》

 我々人類がもつ、最も悲しい宿命が述べられている。神の申し子パスカルにして、初めて言えることではないだろうか。これを言い切るということは、途轍もなく悲痛な人生を生きたに違いない。そのパスカルの涙が、私には見えるのだ。パスカルの慟哭が、私には伝わって来る。パスカルは、我が永遠の友である。呻吟の中に、真の幸福を見出した人だ。悲痛の中を、疾走した人生だったに違いない。精神の苦痛に、喘ぎながら『パンセ』は書かれたに決まっている。だからこそ、それは宝石のような言葉なのだ。
 私は、パスカルからあらゆることを学んだ。パスカルを通して、私の武士道は確立して来たのだ。パスカルの信仰は、パスカルの騎士道である。信仰に命を懸け、その中に芸術と科学を落とし込んだ。その過程は、血で血を洗う凄惨な「行」であったに違いない。私には、痛いほど分かるのだ。パスカルの悲しみが、死ぬほどに分かるのだ。自己の信ずるものを、この世に垂直に立てる道程が分かるのである。その悲痛を辿ることは、私の責務となった。
 そのパスカルの無念が伝わる言葉である。その無念を晴らすのが、私の人生の大きな目標なのだ。私は正しいと思うものを、必ず強いものにする。そうしなければ、その正しさは邪に敗れ去る。自分が斃れれば、邪が蔓延るのだ。私は、そういう気概をパスカルから受けた。それは、私の武士道であり、パスカルと共に歩む騎士道でもある。私は、人間にとって正しいものとは、精神の崇高だと考える。愛、信、義などだ。それを強く育て、物質至上主義を打ち負かさねばならぬ。

2020年5月2日

掲載箇所(執行草舟著作):『悲願へ』p.170
ブーレーズ・パスカル(1623-1662) フランスの哲学者・思想家。円錐曲線における定理の発見、確率論の創始など多くの科学的業績を残す。キリスト教弁証論を書くための覚書が死後『パンセ』としてまとめられた。「人間は考える葦である」という言葉が有名。実存主義の先駆けとしても知られる。

ページトップへ