草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 『平家物語』(内侍所都入)より

    見るべき程の事は見つ、今は自害せん。

 『平家物語』の中には、人間の運命が舞っている。その悲痛を見上げ、その慟哭と共に歩むことが、平家を正しく読むことだと思っている。自分が自分の運命に立ち向かうとき、平家物語は自己の精神を支える叙事詩となる。平家は、日本人の無常観を体現している。それを読み切ることは、日本の無常を引き寄せることとなるのだ。無常こそが、中世以来の日本人を創り上げた思想だ。その中で、我々の祖先は喜びそして泣いた。それに、そのまま習うのである。
 冒頭の言葉は、平知盛の最期の言葉として謳われている。この言葉の中に、私は運命の最も凝縮した姿を感じ取っているのだ。自己の運命を愛し、自己の運命を喰らい、自己の運命に体当たりした人間の言葉と感ずる。その武士道が滴り、その人生が彷彿とする。自己の運命を本当に生きた人間は、死を恐れない。死を恐れる人間は、生きることをしなかった人間なのだ。自分の運命は、全世界を包含している。全宇宙をその身に併呑しているのだ。自分の経験が、この世なのである。
 そう思える人生を送りたい。本当にそう思うためには、自己の運命に体当たりしなければならない。自己に与えられた運命は、宇宙の深淵と生命の神秘そして文明の精神のすべてをすでに含んでいる。そう実感する生き方が生む思想が、冒頭の言葉なのだ。私は必ずそう生きる。高校生のとき、私は岩波の日本古典文学大系の『平家物語』を読んだ。その時に、そう決意したのだ。平家は、自己の運命と重ねて読まねばならぬ。無常とは、自己を離れれば何の価値もない。自己と重ねることによって、それは千鈞の重みを持つ。

2020年5月11日

『平家物語』 鎌倉時代の軍記物語。平氏の興亡を描いた叙事詩的歴史文学。仏教的な無常観を基調に和漢混交文、七五調を主とする律分と散文で詩的に描かれている。のちに平曲として琵琶法師によって語られ、後世の文学に大きな影響を与えた。



執行草舟が高校生の時に読んだ日本古典文学大系の『平家物語』(岩波書店)

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