草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ライナー・マリア・リルケ『ドゥイノの悲歌』(第九歌)より

    一度(ヽヽ)の春、あゝ、たった一度の春でいいのだ。
    それでも私の血には豊かすぎる。

    Einer (Frühlinge), ach, ein einziger ist schon dem Blute zu viel. 》

 この詩行に出会ったとき、私の魂は今も忘れ得ぬ戦慄を受けた。それはリルケの放つ、純粋な憧れが私に強く伝播したからである。その『ドゥイノの悲歌』は、私の魂に革命の息吹をもたらしていた。その一行一行が、私の「忍ぶ恋」と交叉していたのだ。その交叉は、静謐な宇宙の空間で行なわれていたように記憶する。私とリルケは、この地上の関係ではない。宇宙の果ての、誰もいない美しい空間で我々は出会っていた。そしてリルケの憧れが、私の魂に忍ぶ恋の青い熱情を刻印した。
 リルケは、私の武士道自体にとってひとつの革命だった。読み進むその革命が、この第九歌に至って、私の肉体の奥深くに浸潤したのだ。私は冒頭の詩句に出会ったとき、リルケの全体が肚に落ちた。その清純その高潔その崇高に、私の魂は震撼したのである。私はこの言葉だけで、一生を生きることが出来るだろう。そう思った。この世は、ただ一度のことを求めて生きているのだ。一度でいい。何もかも、一度でいい。多くを望む人生との、本当の決別が訪れて来た。静かに、それは訪れて来た。
 我々は、一度だけ生まれた。そして我々は一度だけ死ぬのだ。その宇宙的奇蹟の「」に、我々の生の時間がある。一番大切なことは、すべて一度なのだ。自己の運命がもつ、この一回性に私はすべてを懸ける。私に与えられた、ただ一回の奇蹟を摑むために生きるのだ。生まれそして死ぬことは、すでに奇蹟である。だから、私の人生の時間には生の奇蹟が一度は必ずあるのだ。その運命に向かって、私は体当たりで生きる。リルケの憧れと共に、私は信じて生きる。

2020年5月18日

ライナー・マリア・リルケ(1875-1926) ドイツの詩人・作家。二十世紀を代表する詩人の一人として有名。パリでロダンと交流。のち欧州諸国を遍歴しながら、生の深淵を詠った詩を数多く生み出した。代表作に『ドゥイノの悲歌』、『マルテの手記』等。

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