草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ロープシン『蒼ざめた馬』より

    (おきて)のないところには、罪もまたない。

  筆名ロープシンことボリス・サヴィンコフは、ロシア革命に向けたテロリズムの社会を生きた。その実感から来る、悲哀と熱情がその文学の魅力である。革命に向かうロシアは、社会組織が崩壊に瀕していた。そこでは虚無主義が吹き荒れ、人間のもつ自由の精神は萎え果てていたのだ。その時代は、社会の掟の衰弱による現象が蔓延った。私には、この社会と現代の日本が、二重写しに見えるのである。だからロシア革命の文学は、私の心を打つものが多い。
  両者ともに、その原因に違いはあるが、掟を失いつつあることが似ているのだ。崩壊に瀕する社会を表わす、まさに裏と表の関係を私は感じていた。掟のない社会においては、人間は罪を感ずることが出来ないのだ。その恐ろしさを、ロープシンの文学は表わす。そして冒頭の言葉となる。罪を感ずることが、社会を成立せしめている。罪とは、文明そのものなのだ。この件の後、ロープシンは罪のない社会では「人間の生」もまたないのだと言っている。そして「人間」としての死が待っていると。死には掟がないからだ。
  ロープシンの生きた悲しむべき社会を、いま日本に生きる私も生きているのだ。日本の現状は、掟のない社会に向かって突き進んでいる。その社会では、人々は罪を感ずる心を失っていくだろう。罪は掟の属性なのだ。そして、革命の前のロシアのように人間の生を失っていくに違いない。人間とは、罪を背負って生きる存在なのだ。それを乗り越えるために、人間は生きていた。その罪を感じないならば、我々の人生が立つわけがない。「人間」の死は間近いのだ。

2020年9月7日

ロープシン(1879-1925) ロシアの革命家・小説家・詩人。本名・ボリス・サヴィンコフ。社会革命党戦闘団に加入し、帝政の要人暗殺を指揮。のち二月革命に際しては、内閣の陸軍次官を務める。反革命運動を行なうが捕縛され、獄中で自殺した。『蒼ざめた馬』等。

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