草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • ガブリエル・ダヌンチオ『聖セバスチァンの殉教』より

    より深く俺を傷つける者こそ、
    より深く俺を愛する者なのだ。

    《 Celui qui plus profondément me blesse, plus profondément m'aime. 》

  聖セバスチァンの殉教は、ヨーロッパの中世を語る上で欠かすことが出来ない。その思想は、キリスト教が成し遂げた人類的偉業だった。真のヨーロッパの土台が、この世に打ち込まれたのである。キリスト教の偉大性は、死を厭わぬことにある。現世を捨て、永遠の生命に生きようとするその清冽な魂にあるのだ。日本の武士道を愛する者は、またキリスト教の精神を愛した。内村鑑三がそうだった。そして、あの三島由紀夫もそれに倣った。キリスト教が放つ魅力は、魂の永遠と生存の復活を信ずることにある。
  冒頭の言葉は、聖セバスチァンの本質を物語るものだ。つまり、キリスト教の真髄であり、ヨーロッパ中世の魂と言うことになる。この霊験劇の終わり近くに、聖セバスチァンが語る台詞である。この思想が、中世を創り上げたのだ。そして、偉大なヨーロッパ近代を生み出す土台ともなった。愛は、打ちひしがれ傷つけられた者の中から生まれる。愛は、優しさの中からは生まれないのだ。美しく優しいものは、人間の欲望と権利を助長する結果にしかならない。
  生命の本質を、原始キリスト教は捉えたのだ。我々の生命が、なぜ生まれたのか。なぜ我々は生きるのか。そして、なぜ我々は死ぬのか。死ぬことのない生命とは何か。それらのことを、キリスト教は捉えた。そのキリスト教がヨーロッパの中世を創ったのだ。そして中世の象徴こそが、殉教だった。この殉教を忌み軽蔑することによって、近代が生まれた。そしていま、近代の末端に我々はいるのだ。中世の遺産を食い尽くしながら、我々は恥じることがない。

2020年9月14日

ガブリエル・ダヌンチオ(1863-1938) イタリアの詩人・小説家・劇作家。富裕地主の家に生まれ、16歳で処女詩集を発表。精力的な創作活動を続け、耽美的・デカダンな作品を多く著した。また、政治活動もよくした。代表作に『聖セバスチァンの殉教』、『死の勝利』等がある。

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