草舟座右銘

執行草舟が愛する偉人たちの言葉を「草舟座右銘」とし、一つひとつの言葉との出会い、想い、情緒を、書き下ろします。いままで著作のなかで触れた言葉もありますが、改めて各偉人に対して感じることや、その言葉をどのように精神的支柱としてきたか、草舟が定期的にみなさまへご紹介します。ウェブサイトで初めて公開する座右銘も登場します。

  • 坂口安吾『堕落論』より

    人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。

  人間は、自分自身の力で立たなければならない。人生とは、自己の運命の独立と自尊にそのすべてがかかっているのだ。自分だけの責任で立たなければならない。自分だけの意志で生き抜かなければならないのだ。自分を正しく見る者にだけ、このような生き方が出来る。自分を科学的に見詰めるということに他ならない。それ以外に、自己の生命が燃焼することはない。自分の人生が拓くこともまたない。生まれ、生き、そして死ぬ。そのすべてが、自分の運命の躍動からしか生まれないのだ。
  そのためには、人間は正しく堕ちなければならない。自分のことが大切な人間や、自分が得をしたい人間などは堕ちることは出来ない。そのような人間は、堕ちるときも間違った堕ち方をする。そして、その人生は腐り果てて死ぬのである。正しく堕ちる者とは、自己の運命のために堕ちる者を言う。自己の前に現われる運命に立ち向かい、一歩も引かずにその運命に体当たりを喰らわす者だ。その人間は、馬鹿かもしれない。しかし見所だけはある人間に違いないのだ。
  失敗し挫折し、苦悩し呻吟するのである。悲痛に哭き、空腹と渇きに喘ぐのだ。それが正しく堕ちる者の雄姿だと私は思っている。そして堕ち切らなければならない。その泥沼から、自力だけで立ち上がるのだ。自力とは、自己の運命と与えられた生命の全力を使うことを意味する。宇宙の力だけに頼る。そのような人間だけが、本当の人生を生きる。自己の運命を、本当に愛する者になれるのだ。自己の運命を生き切れるのである。私の最大の誇りは、正しく堕ちた人間だったことに尽きる。

2020年10月5日

坂口安吾(1906-1955) 小説家。戦後社会の混乱と退廃を反映する独自の作風を確立、大胆な文明批評で戦後を代表する文学者の一人となった。歴史小説や推理小説も手がけた。評論『堕落論』、小説『風博士』ほか。

ページトップへ